そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
主の僕たる者は争ってはならない。だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び、
さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
憎しみは、争いを起し、 愛はすべてのとがをおおう。
もしほかの人々が、あなたがたに対するこの権利にあずかっているとすれば、わたしたちはなおさらのことではないか。しかしわたしたちは、この権利を利用せず、かえってキリストの福音の妨げにならないようにと、すべてのことを忍んでいる。
互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。
しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。
試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。
わたしに良い判断と知識とを教えてください。 わたしはあなたの戒めを信じるからです。
そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇としている。
それから、わたしがアンテオケ、イコニオム、ルステラで受けた数々の迫害、苦難に、よくも続いてきてくれた。そのひどい迫害にわたしは耐えてきたが、主はそれらいっさいのことから、救い出して下さったのである。
わたしたち強い者は、強くない者たちの弱さをになうべきであって、自分だけを喜ばせることをしてはならない。
またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
したがって、わたしたちも、彼のはずかしめを身に負い、営所の外に出て、みもとに行こうではないか。
わたしたちは、この望みによって救われているのである。しかし、目に見える望みは望みではない。なぜなら、現に見ている事を、どうして、なお望む人があろうか。
見よ、彼はわたしを殺すであろう。 わたしは絶望だ。 しかしなおわたしはわたしの道を 彼の前に守り抜こう。
こうして、ヤコブは七年の間ラケルのために働いたが、彼女を愛したので、ただ数日のように思われた。
あの時、わたしはあなたがたに言った、『わたしはひとりであなたがたを負うことができない。
イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。
これは男が野で女に会ったので、人と婚約したその女が叫んだけれども、救う者がなかったのである。